神戸市外国語大学学長木村榮一

神戸市外国語大学学長
木村榮一

司馬遼太郎の『功名が辻』がテレビで放送されていますが、原作のほうもぜひお読みください。山内一豊と妻千代を中心とした波乱万丈の物語『功名が辻』と斉藤道三、織田信長、豊臣秀吉を主人公にした『国盗り物語』、それに『竜馬がゆく』は司馬遼太郎の作品の中でも一番のお勧めで、読むものをわくわくさせます。小説『功名が辻』、あるいはそのテレビ・ヴァージョンを見てもお分かりになるように、戦いに明け暮れる戦国武将は目が回るほど忙しい毎日を送っていました。評定(戦術会議)で議論を戦わせ、戦の準備に忙殺され、時には何日もかけて戦場に赴いて命がけの戦を行い、戦闘のさなかにあっても部下の働きに目を光らせて不平不満の声が出ないような信賞必罰に思いをめぐらせ、むずかしい人間関係や主選びに知恵を絞り、一族や家の子郎党のことを考え、妻にあれやこれや相談し、といった具合です。そんな中にあっても書物を読み、戦術家、築城家として後世に名を残している山本勘助、稀代の軍師黒田官兵衛、あるいは剣術、弓術に長け、しかも『近世歌学』をはじめとする和歌に関する著作もある真の文化人でもあった細川幽斎のような人物もいたわけです。彼らはいったいいつものを考え、書物を読んでいたのか不思議に思えますが、多忙な中にあっても三箇所だけは時間があってものを考えることができた。それが馬上、厠、枕上の三箇所で、これを三上の訓(おしえ)といいます。

三上の訓を現代風に読み替えれば、馬上はさしずめ通勤、通学の乗り物の中、厠はトイレ、枕は寝床ですから、この三箇所を上手に利用して、一日三十分から一時間くらいは本を読めるはずですね。時間というのは伸縮自在で、工夫をすれば、結構空いた時間が取れるものです。そうして盗んだ時間を使って読書を続けていけば、何年かすると驚くほど本が読めているものです。そういえば、ラテンアメリカ諸国をスペインの植民地支配から解放した英雄シモン・ボリバルも徒歩とラバで地球を三回りするほどの距離を移動し、スペイン軍を相手に戦い続けましたが、その間も暇さえあれば本を読んでいたそうです。

前置きが長くなりました。今回は時代がかった話から入ったので、若い人ならまず読むことのないちょっと変わった本の紹介からはじめましょう。その本というのは野村胡堂(ref. 野村胡堂・あらえびす記念館)の『銭形平次捕物控』(嶋中文庫。全十五巻)です。もう歳ですね、こう書いただけである情景がよみがえってきます。その情景というのは昔大阪の下町に沢山あった貸し本屋さんで、町内に一軒か二軒ありました。今風に言えばビデオショップというところでしょうか。十坪(三十三m2)ほどの店の三方に本棚があり、そこにびっしり本が並んでいます。漫画(コミックス)もあれば月刊誌もあり、いわゆる大衆小説や少々硬い本も並んでいました。お米の通帳が身分証明書代わりになっていた時代で(今から五十年ほど前なので、運転免許書をもっている人が少なかったのです)、それを家から持ち出して貸し本屋さんに渡し、名前を登録してもらうのですが、当時はパソコンなんてありませんから、ノートに鉛筆で住所と名前を書いてもらえばそれで登録は終わりです。値段のほうはもう覚えていませんが、雑誌やコミックスは比較的安くて、小説は少し高かったように思います。金額的には今のビデオを借りるくらいの料金だったでしょうね。

店の中は裸電球が一つか二つぽつんとついているだけのさびしい感じで、生きているのにくたびれたような顔をしたおじさん、あるいはやたら口うるさいおばさんが座っていて目を光らせています。そういう店に野村胡堂の『銭形平次捕物控』がずらっと並んでいました。ちなみに、司馬遼太郎が作家として名を知られ、やがて国民的な作家として高く評価されるようになったきっかけが実はこうした貸し本屋さんでの貸出率が高かったというのがそもそものはじまりです。あれほどの作家でも、最初の第一歩はしけた貸し本屋さんからはじまったと聞くと、なんとなくうれしくなります。ともあれ、小学校高学年、あるいは中学坊主だった僕はそうした貸し本屋で『銭形平次捕物控』を借りて、夢中になって読みふけったものです。

野村胡堂はもともと報知新聞の記者でした。昭和六年の春に、知り合いの編集者が胡堂の家を訪れて、「オール読物」という月刊誌を発行することになったのだが、そこに岡本綺堂の『半七捕物帳』(春陽文庫)のような江戸情緒とたたえた捕物帳を書いてもらいたいのだがと依頼します。その申し出を受けた胡堂は早速銭形平次を主人公にした毎回読みきりの捕物帳を連載しはじめるですが、これが何と戦時中の一時期を除いて休むことなく二十七年間書き続け、別に書いたものをあわせると三百ページ五十巻にのぼる分量になったそうですから、驚きです。単に書いた分量が多いというのではなく、このシリーズがそこまで読者に愛され、長く読み継がれたという点が凄い所です。昔はよく国民文学という言葉が使われましたが、この銭形平次なんかもそのひとつだといっていいでしょう。

神田の明神下の長屋に住んでいる銭形平次は男っぷりがよくて、頭が切れ、しかも情に厚いと三拍子そろった岡っ引きで、投げ銭という必殺技も持っています。手下に愛すべき人物ガラッ八の八五郎がいる。この名コンビがさまざまな難事件、怪事件を解決して行くのですが、その語り口のうまさと人物造形のみごとさがあいまって、読みはじめると途中でやめられなくなります。まずは嶋中文庫の第一巻からお読みください。

ここまで書いてきて、気がついたのですが、江戸庶民の暮らしぶりや生き様を描いた捕物帳があれほどまで読まれ、愛されたのは、おそらく当時の人たちが法の秩序と人情とがバランスよく按配されている野村胡堂ワールドという架空の世界に魅了され、そこから多くのことを学んだからでしょうね。

若い人はたぶんご存じないでしょうが、吉川英治の『宮本武蔵』や山岡荘八の『徳川家康』といった小説は今から何十年も前にこぞって読まれたものです。その後、司馬遼太郎が現われ、さらに近いところでは藤沢周平が多くの読者に愛され、読まれてきました。こうした人たちの本は一方で世相や社会の変化と微妙に連動していて、興味深いのですが、その問題は社会学をやっている方におまかせして、いわゆる大衆小説として分類され、多くの読者に読み継がれてきた作家たちについて少し考えてみると、読者はそうした作家たちの小説で語られる物語、あるいは人物の生き方からそれぞれに何かを学び取ろうとしてきたのでしょう。

考えてみると、僕たちは幼い頃からお話、あるいは物語の世界にとっぷり浸って生きています。童話や御伽噺、テレビのアニメ、コミックスなどみんなお話を語っています。ある年齢に達すると、波乱万丈の物語や小説へと移っていくのですが、この世界の中だと、先生や親のようにうるさくああしなさい、こうしなさい、これをしてはいけません、あんなことをして、もう、と言われることはありません。つまり、物語、お話から何を引き出そうが、読み手の自由なのです。たとえば、「わらしべ長者」を読んで、運と少しの才覚があれば、遊んでいても長者になれるんだと思う子供もいれば、あんな生き方はいやだ、と考える子供いるでしょう。お話や物語から何を読み取るかは、読者である自らの判断なわけです。たぶん、文学の面白さ、楽しさの根源はそこにあるんでしょうね。