前回開高健のエッセイをいくつか紹介しましたが、ぼくとしては『私の釣魚大全』と『フィッシュン・オン』をはずすわけには行かないので、やはり少し触れておきましょう。
このエッセイはまず釣り餌の基本といえるミミズから入っていくのですが、このあたりからバカに面白くなります。神田にある釣り餌屋の大将が近年ハゼ釣りの餌であるゴカイがいなくなったのを憂えて、ある研究者と額を付き合わせ、ああでもない、こうでもないと模索をつづけ、試作品を作り、ついに理想の釣り餌を開発し、名前もゴカイを越えるというので《ロッカイ》と名づけて売り出したのですが、残念ながらまったく売れない。理由は単純でその疑似餌ではまったく釣れなかったからなんです。大将いわく。「どうも。ハゼのほうが賢くってね。どうしてもとびついてくれないんですよ」だそうです。
そこの大将いわく。「タコはラッキョウで釣れる。クロダイはミカンで釣れる。コイはイモで釣れる。そのイモも近頃はインスタント食品のマッシュド・ポテト、あれをこねたうえに味の素やら水飴やらナニやらカやらをまぜて秘術をこらすのだが、ニシンの油をちょいと入れると原爆的効果が生ずる」そうです。
ここからタナゴ釣り、ハンマーでカジカを取る話、根釧原野でのイトウ釣り、タイ釣り、海外でのさまざまな魚釣りの話が出てきますが、中でも秀逸なのは「鯉とりまーしゃん」の話で、これは何をおいても一読しないと損をする面白いエッセイです。
また、『フィッシュ・オン』に出てくる毛鉤の話(これは『鮭サラの一生』(海保真夫訳)という名著からの引用です)にもぜひ眼を通してください。以下にその一節を紹介しておきましょう。
その擬似を考えだすのに人間の思考は全世界をさがしまわったのだ。それは蚊針と呼ばれた。だが、それに似た蚊は空中にも、水のなかにも存在しない。さきほど閃光を放った尾のつけ根は、ネヴァダの銀と台湾の蛾のまゆの糸からできていた。尾はインドのカラスの羽だった。胴の末端はアフリカのダチョウの黒い羽枝であり、胴体は黄色い真綿に、南アフリカのオオハシの朱色の胸毛と、銀糸で肋骨状のうねをつけたマックスフィールドの黒い絹糸を巻きつけたものである。さらに特別の魅力として、たくさんの鳥の羽でできた翼がついている。カナダのシチメンチョウ、日本のクジャク、アイルランドの白鳥、中国のキンケイ、ヘブリディーズ諸島のさまざまなカモの類である。蚊針の喉はイギリスの斑入りのニワトリの羽であり、横腹はベンガルのジャングルに棲むオンドリの首の羽、頬はフランスのカワセミの羽毛、触覚はアマゾンのマコーの尻尾の羽だった。ワックスやワニスやエナメルがそれらの羽毛を固めている。それは眠そうなサケや活気のないサケを誘惑しようとして、人間の作りだした河畔の呪文のひとつである。



