神戸市外国語大学学長

神戸市外国語大学学長
木村榮一
2.19 外大OB外交官講演会にて

前回開高健のエッセイをいくつか紹介しましたが、ぼくとしては『私の釣魚大全』と『フィッシュン・オン』をはずすわけには行かないので、やはり少し触れておきましょう。

このエッセイはまず釣り餌の基本といえるミミズから入っていくのですが、このあたりからバカに面白くなります。神田にある釣り餌屋の大将が近年ハゼ釣りの餌であるゴカイがいなくなったのを憂えて、ある研究者と額を付き合わせ、ああでもない、こうでもないと模索をつづけ、試作品を作り、ついに理想の釣り餌を開発し、名前もゴカイを越えるというので《ロッカイ》と名づけて売り出したのですが、残念ながらまったく売れない。理由は単純でその疑似餌ではまったく釣れなかったからなんです。大将いわく。「どうも。ハゼのほうが賢くってね。どうしてもとびついてくれないんですよ」だそうです。

そこの大将いわく。「タコはラッキョウで釣れる。クロダイはミカンで釣れる。コイはイモで釣れる。そのイモも近頃はインスタント食品のマッシュド・ポテト、あれをこねたうえに味の素やら水飴やらナニやらカやらをまぜて秘術をこらすのだが、ニシンの油をちょいと入れると原爆的効果が生ずる」そうです。

ここからタナゴ釣り、ハンマーでカジカを取る話、根釧原野でのイトウ釣り、タイ釣り、海外でのさまざまな魚釣りの話が出てきますが、中でも秀逸なのは「鯉とりまーしゃん」の話で、これは何をおいても一読しないと損をする面白いエッセイです。

また、『フィッシュ・オン』に出てくる毛鉤の話(これは『鮭サラの一生』(海保真夫訳)という名著からの引用です)にもぜひ眼を通してください。以下にその一節を紹介しておきましょう。

その擬似を考えだすのに人間の思考は全世界をさがしまわったのだ。それは蚊針と呼ばれた。だが、それに似た蚊は空中にも、水のなかにも存在しない。さきほど閃光を放った尾のつけ根は、ネヴァダの銀と台湾の蛾のまゆの糸からできていた。尾はインドのカラスの羽だった。胴の末端はアフリカのダチョウの黒い羽枝であり、胴体は黄色い真綿に、南アフリカのオオハシの朱色の胸毛と、銀糸で肋骨状のうねをつけたマックスフィールドの黒い絹糸を巻きつけたものである。さらに特別の魅力として、たくさんの鳥の羽でできた翼がついている。カナダのシチメンチョウ、日本のクジャク、アイルランドの白鳥、中国のキンケイ、ヘブリディーズ諸島のさまざまなカモの類である。蚊針の喉はイギリスの斑入りのニワトリの羽であり、横腹はベンガルのジャングルに棲むオンドリの首の羽、頬はフランスのカワセミの羽毛、触覚はアマゾンのマコーの尻尾の羽だった。ワックスやワニスやエナメルがそれらの羽毛を固めている。それは眠そうなサケや活気のないサケを誘惑しようとして、人間の作りだした河畔の呪文のひとつである。

Fly lures

Jock Scott Fly lure
©'Scratch'license under CC-2.0

ちなみにサケを釣るために考え出されたこの毛鉤は、ある釣り師が船酔いを紛らすために考え出した《ジョック・スコット》と呼ばれる毛鉤の名作で、三百年近く製造、販売されているそうです。いかがです? 心が騒ぎませんか。サケを釣るために考え出された小さな毛鉤の中に、なんと小宇宙が閉じこめられている、しかもそれが単なるお遊びでしかない、いや、なんとむだなことを、お考えの人は今流行の効率主義という魔物にとりつかれているんでしょうね。早く憑き物を落とされるべきだと思いますが・・・・・。

それはともかく、かく言うぼくも毛鉤にはまって、まず毛鉤釣りの本を買ってきて、必要な道具をそろえてせっせと毛鉤を作りました。むろん、《ジョック・スコット》のような大物釣りの毛鉤ではなく、アマゴ、イワナ用の本当に小さな毛鉤ですが、あれやこれや試みました。ドイツとイギリス、それに安価なインドのニワトリの胸毛、日本と韓国のキジの剣羽(これは一羽のキジの翼の先端に一本ずつしかないもので、一羽で二本しか取れない貴重なものですが、残念ながら爆発的な効果はなかったですね)、インドと日本のクジャクの羽、アフリカのダチョウ、中国のキンケイ、そのほか名前も覚えていないアフリカ、インド、オーストラリア、中南米のさまざまな鳥たちの羽、さらにアメリカのクマ、キツネ、シカをはじめいろいろな動物の毛、また珍しい所では山草のゼンマイの綿毛なんかも使いました。

なんでもネズミのひげを使うとバカ釣りできるといううわさも聞いたのですが、こればかりは市販されていないし、手に入れるのがむずかしくてね。そのほかテンやイタチの毛もなかなかいいんですが、とりわけミンクの毛は毛鉤に最適なんです。家の奥さんのミンクのストールに目をつけて、ハサミでそっと一部を切って使おうかと思ったこともあるのですが、あるエッセイでアメリカの釣り師が奥さんのミンクのコートの裏側の端を少し切りとったばかりに離婚されたという話を本で読んで、これは諦めました。

毛鉤釣りというのは実は想像力の釣りでもあって、水生昆虫やその幼虫に似せて作るのが基本なんですが、これがむずかしい。長い時間の中で《ジョック・スコット》を考え出した隠れた天才に負けないような天才、秀才、奇人、変人たちがそれぞれに想像力を駆使して作り上げた毛鉤のパターンがあるのですが、それをじっとにらんで釣り師は工夫を凝らします。ただ、魚をだませるような逸品を作るのは至難の業ですし、水生昆虫に似せて毛鉤を作る際に、いったいどういう材料を使えばいいんだろうかと頭を悩ませます。

様々な毛鉤

様々な毛鉤

いつだったか毛鉤のことを考えて電車に乗っていて、羽化した水生昆虫の胴体のあの柔らかい感じを出すには何を使えばいいんだろう、毛糸では出ないし、シカやクマの毛ではごわごわしているしと思ってふと見ると、目の前にふわふわした、見るからに柔らかそうな最高の毛があるではありませんか。思わず手が出そうになって、はっとわれに返ったのですが、実は毛が薄くなりはじめた中年男性の頭髪だったんです。毛鉤釣りというのは想像力の世界であり、妄想の世界でもあるんですね。

長くなりついでにもう少し開高節に付き合っていただきましょう。ぼくが中年になって足腰が弱ってきたなと思ったころに、またまた開高さんなんですが、そのエッセイで足腰が弱ったので釣りをはじめたとあったので、さっそく「まねぶ」ことにしたのです。そんな中『フィッシュ・オン』でつぎの一節に出会って、よし、これだと渓流釣りに踏み込んだのがそもそものはじまりです。

自然の分泌物に自然がとびつくのはあたりまえである。ただのことである。いくら釣師が仕掛けや合わせの呼吸に心魂をそそいだところで餌という決定的な一点では石器時代である。知恵もなく、工夫もなく、また、あまりにも容易である。そもそも芸術とは反自然行為ではなかったか。釣りを芸術と感じたいのなら自然主義を断固としてしりぞけねばならない。釣りを生業とする漁師なら話は別だが、遊びで釣りをする"芸術家"なら、もっと次元の高い、むつかしい道に愉しみを発見しなければならない。

この一文にやられましたね。もう何十年も前のことですが、以来毛鉤釣りに凝って、色々とやりました。釣果ですか、ああ、それは近畿圏の川に棲んでいるアマゴやイワナに訊いてください。きっと、苦笑いして、一生懸命やっておられたようですがね・・・・・・という返事が返ってくるはずです。