神戸市外国語大学学長

神戸市外国語大学学長
木村榮一
3.23 卒業式にて

早いもので、「風の便り」も今回で一年になります。ここまでつづくとは思っていなかったので、自分でも驚いています。内容が軽くて薄いので、ここまで来たんでしょうね。いつまでつづくか分かりませんが、まあ気楽に行けるところまで行きましょう。

さて、このところ少し硬い本の紹介が続いたので、今回は楽しい本、わくわくするような本を紹介しましょう。といっても年寄りの勧める本ですから、若い方の気に入るかどうかは分かりませんが。何回も登場願っているアルゼンチンの作家ボルヘスという人は『ボルヘス、オラル』(水声社)という講演集(これも実はお勧め本の一冊です)の中で探偵小説を取り上げて、このジャンルの創始者はアメリカの作家エドガー・アラン・ポーであるといっていますが、言われてみると確かにそうですね。ポーの「モルグ街の殺人」、「盗まれた手紙」(東京創元社)にはオーギュスト・デュパンという名探偵が登場するのですが、この探偵はたしかにかっこいいですよ。長い作品ではないので、ぜひ一読を・・・・・。

Edgar Allan Poe 1848

Edgar Allan Poe 1848

しかし、名探偵といえばこれはもうコナン・ドイルのシャーロック・ホームズに止めをさすでしょう。すでにお読みの方も沢山おられると思いますが、まだ読んでいない人はぜひ『シャーロック・ホームズの冒険』、『シャーロック・ホームズの回想』、『シャーロック・ホームズの帰還』といった短編集から入って、『四つの署名』、『バスカヴィル家の犬』(以上新潮文庫)などの長編へ進んでください。ホームズとワトソンの名コンビはきっとあなた方を魅了しますよ。この二人はある意味で推理小説の世界におけるドン・キホーテとサンチョみたいなものですからね。そうそう、いまだにホームズ・ファンというのがいて、まるで実在した人物のようにこの探偵についての本を書いたり、ホームズの住んでいたことになっているベーカー街を中心に当時のロンドンのことを論じた本が発行されたりしています。そのことひとつとってもホームズの影響力がいかにすごいか、またいかに愛され続けているかが分かりますね。

"Holmes' belongings" including a magnifying glass, calabash pipe, and a deerstalker cap at the Sherlock Holmes Museum in London.

"Holmes' belongings" including a magnifying glass, calabash pipe, and a deerstalker cap at the Sherlock Holmes Museum in London.

このシャーロック・ホームズに劣らず魅力的な人物がフランスの作家モーリス・ルブランが創造したアルセーヌ・ルパン(ルパンのシリーズは新潮文庫、ハヤカワ文庫で出ています)です。ルパンが登場するこのシリーズにぼくも子供の頃はまりましたし、大人になってから読み返してみたのですが、やはり面白かったですね。イギリスが舞台のホームズの世界が少し暗い感じがするのに対して、ルブランの描く世界はもう少し明るい感じがします。「フジコちゃーん」と叫ぶコミックスのルパン三世よりは絶対かっこいいですから、ぜひ『怪盗ルパン』、『ルパン対ホームズ』、『ルパンの告白』などをお読みください。

また、小説家、批評家としてもすぐれた作品を残しているG.K.チェスタートンも忘れることができません。彼の書いた推理小説『ブラウン神父の童心』にはじまるブラウン神父シリーズ(創元文庫)はあっと驚くような意想外の結末が用意されていて実に楽しいですね。同じイギリス人で、ミステリーの女王と呼ばれるアガサ・クリスティ(ハヤカワミステリー)も忘れることができません。まずは、フランス人の探偵エルキュール・ポアロの登場する作品、それにミス・マープルが女性ならではの推理を働かせる作品からはじめられるといいでしょう。クリスティの作品もはまると中々抜け出せなくなるほど面白いですね。

以上のほかにも、情報としてはちょっと古いので申し訳ないのですが、ヴァン・ダイン、フィルポッツ、ジョルジュ・シムノン、エラリー・クインなどがいます。ただ、ミステリーの世界は広くて深いので、ここから先はどうかご自身で探求してください。まわりに必ずマニアックなミステリー・ファンがいますから、そういう人たちに尋ねてみられるのがいちばんの近道だと思います。ミステリーの系譜で忘れてならないのがハードボイルドですが、この世界も広くて深いので、入り口のあたりを少し紹介するにとどめておきます。この分野ではやはり草分け的存在といえるダシール・ハメットを挙げなくてはいけないでしょう。作品としては『血の収穫』、『マルタの鷹』(ハヤカワ文庫)などがありますが、彼の創造したサム・スペードは中々いいですね。

Raymond Chandler

Raymond Chandler

しかし、ハードボイルドといえば、やはりレイモンド・チャンドラーを見落とすことができません。最近チャンドラーの『ロング・グッドバイ』(ハヤカワ書房)が村上春樹訳で出版されました。とても読みやすい訳で、長い作品ですが一気に読ませますね。ストーリーも二転、三転して結末が読みきれず存分に楽しめました。ある方と話しているときに『ロング・グットバイ』の話になり、あれはよかったですねというと、それなら村上さんの訳ではないんですが、あの作品の中にTo say good-bye is to die a littleという名セリフが出てくるのですが、その訳についてミステリー作家の北村薫さんの面白いエッセイがありますよ、よかったら送ってあげますといわれ、数日後にその本を送っていただきました。清水俊二訳(早川書房で出ているこの方の翻訳も名訳と言われています)では、その一節が「さよならを言うのはわずかのあいだ死ぬことだ」となっているのですが、それを巡って実にいろいろなエピソードが紹介されています。

これはもともとフランス語の詩で、<パルチール・セ・ムーリール・アン・プウ・・・>となっているそうで、そのアン・プウの訳が「しばらくのあいだ」はどうなのかという疑問があって、そこから北村さんは以前ここでたしか紹介したことのある大沢在昌という作家に問い合わせます。さすが日本を代表するハードボイルド小説の作家だけあって、訳文と原文がその場でたちどころに口をついて出てきて、説明してくださったそうです。北村さんはそれでも充分納得がいかず、その後もいろいろ調べて似たような文章がアガサ・クリスティーの作品の中にも出てくること、さらにシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』(新潮文庫、岩波文庫)の中にもやはり似たような文章があるというまことに刺激的な話をつづっておられて、思わず引き込まれて読んでしまいました。村上訳の『ロング・グッドバイ』、清水訳の『長いお別れ』を読んだら、どうか忘れずに北村薫の『詩歌の待ち伏せ』1,2(文春文庫)もあわせてお読みください。

日本の作家では先ほど挙げた大沢在昌の新宿鮫シリーズがお勧めです。刑事を主人公にした日本のハードボイルド物では傑出した作品といっていいでしょう。新宿鮫シリーズならまず『新宿鮫』、『毒猿』(いずれも光文社文庫)からはじめて気に入れば、残りを読み進められるといいでしょう。これもはまると抜けられませんよ。他にもいろいろあるんですが、『闇先案内人』(文春文庫)、『Kの日々』(双葉社)などもいいですね。

宮部みゆきの小説もいいのがありますね。とても沢山書いておられるので、選ぶのに苦労しますが、さしあたり『魔術はささやく』、『龍は眠る』、『初ものがたり』、『本所深川ふしぎ草紙』(以上新潮文庫)あたりから読みはじめられたらいかがでしょう。