神戸市外国語大学木村榮一学長の写真 2007年度オープンキャンパスにて

神戸市外国語大学学長
木村榮一

ぼくは度し難いほど散文的な人間で、詩が今ひとつ理解できない(この言い方自体が散文的ですね)というのが長年コンプレックスになっています。雑談していても、ついオチをつけたくなるという悪い癖があるのですが、昔、なんでもオチをつけるのはどうですかねとたしなめられたこともあります。それでも直らないんですから、諦めるより仕方ないんでしょう。詩に深く入り込めなかったし、詩の方も受け入れるのを嫌がっている気配があったのは、たぶんこの度し難い散文的性格のせいなのだろうと思って、索然たる思いにとらえられます。それでも、たとえ人から見て噴飯ものであっても、長い間生きてきたせいで心に残っている詩人が何人かいます。

少年時代に読んで、その言葉の響きに圧倒されたのが北原白秋の詩と上田敏の訳詩集でした。たとえば、白秋の「邪宗門」(『北原白秋詩集』新潮文庫)の冒頭に出てくる作品の「邪宗門秘曲」がそうです。

われは思ふ、末世(まつせ)の邪宗(じゃしゅう)、切支丹(きりしたん)でうすの魔法。

黒船(くろふね)の加比丹(かぴたん)を、紅毛(こうもう)の不可思議国(ふかしぎこく)を、
色赤きびいどろを、匂(にほひ)鋭(と)きあんじゃべいいる、
南蛮(なんばん)の桟留縞(さんとめじま)を、はた、阿刺吉(あらき)・珍陀(ちんた)の酒を。

目見(まみ)青きドミニカびと陀羅尼(はだらに)誦(ず)し夢にも語る

禁制の宗門神(しゅうもんしん)を、あるはまた、血に染む聖磔(クルス)、
芥子粒(けしつぶ)を林檎(りんご)のごとく見すという欺罔(けれん)の器(うつは)、
波羅葦僧(はらいそ)の空をも覗(<

カーネーション

Anjelier

でうすはスペイン語のdios(英語のgod)。加比丹(かぴたん)は英語のcaptainです。あんじゃべいいるはオランダ語のアンジャベル(Anjelier)、カーネーションの旧称です。欺罔(けれん)は、よく<けれんみ>などといって使う芝居用語で、俗受けを狙った演出、演技をさしますが、ここでは人をびっくりさせるというくらいの意味でしょう。ともあれ、それもこれもみんな広辞苑にでていますから、ぜひ引いてみてください。それだけでも日本語の世界が広がりますよ。

もうひとつ白秋の詩の「白金ノ独楽」を紹介しておきましょう。

感涙ナガレ、身ハ仏(ほとけ)、
独楽(こま)ハ廻レリ、指尖(ゆびさき)ニ。

カガヤク指ハ天ヲ指(さ)シ、
極(きわ)マル独楽ハ目ニ見エズ。

円転、無念無想界、
白金ノ独楽音(ね)モ澄ミワタル。

宮沢賢治

二つの詩を読み比べてみると、とても同じ人が書いたものと思えないでしょう。この響きと鮮烈なイメージを新潮文庫の『北原白秋詩集』で一度お読みください。他にも「思ひ出」、「東京景物詩」、「水墨集」などいい詩があります。何度も離婚し、女性関係で苦しんだ白秋ですが、いつも少年の心を失わなかった詩人として心に残ります。

少年の心を失わなかった詩人といえば、「東海の小島(こじま)の磯(いそ)の白砂(しらすな)に/われ泣きぬれて/蟹(かに)とたはむる」や「かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川」といった短歌で知られる石川啄木や

雨にも負けず風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち
欲はなく決して瞋(いか)らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かりそして忘れず
野原の松の林の蔭の小さな茅葺きの小屋にいて
東に病気の子供あれば行って看病してやり
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があればつまらないから止めろと言い
日照りのときは涙を流し寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず苦にもされず
そういうものに私はなりたい

というあまりにも有名な詩を残している宮沢賢治もまさにそうですね。まだお読みでなかったらぜひこの二人のものもお読みください。

中原中也

続いて同じように少年の心を失わなかった詩人中原中也を紹介しておきましょう。「サーカス」、「臨終」、《汚れちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる/汚れちまった悲しみに/今日も風さえ吹きすぎる》という一節で有名な「汚れちまった悲しみに」、「羊の歌」など大好きな詩もありますが、思潮社から出ている『中原中也詩集』の解説で鮎川信夫が取り上げている「骨」もおかしくて悲しくて、とてもいいですね。

ホラホラ、これが僕の骨だ。
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。

それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
すわっていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思へばなんとも可笑(おか)しい。

いかがです。いいでしょう。僕の好きな詩人としてはほかに金子光晴、大岡信〈ただし初期の詩集〉、田村隆一、谷川俊太郎、鮎川信夫、吉本隆明などがいます。本当ならそれぞれの詩を紹介したいのですが、ちょっと長くなったので、次の機会に譲ることにします。

詩人ではないのですが、ちょっと変わったところで、井上靖(テレビで『風林火山』を見た人もいると思いますが、その原作者です。小説家としても『敦煌』、『天平の甍』、『蒼き狼』、『西域物語』などいい作品を沢山残しています)、この作家が『北国』という小さな詩集を書いています。散文詩のようなスタイルの作品が収められているのですが、ここに収められているぼくの大好きな「瞳」というのを以下に紹介しておきましょう。

七歳ごろであったろうか。明るい春の、風の強い
日、私は誰かに背後から抱いて貰って、庭の隅の
古井戸を覗き込んだことがある。苔むした古い石
組と生い茂った羊歯、ひやりとする冷たい空気、
地上から落込んだその方形の空洞の底には、動か
ぬ水が銹びた鏡のように置かれてあった。想ふに、
私の生涯に大きい關係をもつ何ものかが、初めて
私の軀の中に這入りこんできたのはその時であっ
た。
若し私が幼児のその春の日の一刻を持たなかった
ら、刺客の冷たい瞳を埋めた地中の暗處をのぞか
なかったら、――私は二十歳の時友の眉間を割り、
二十五歳の時思想運動に奔り、三十歳の時戀愛に
生命をかけ、三十五歳の時絶望の思ひをもって永
定河を渡り、四十歳にして或は市井に名をなして
ゐたかもしれない。
併しすべては違ってゐた。あの北支永定河の川波
に乱れ散るこの世ならぬ白い陽の輝きに、ふと生
命惜しからぬ戦ひの陶酔を味はった以外、あらゆ
ることに、私は怠惰であり、常に傍観者でしかな
かったやうだ。

この詩の終わりから四行目の「乱れ」は原文では旧字ですが、打ち出せませんでした。

そうそう、今思い出したのですが、三好達治の『測量船』も忘れられません。これから南へ旅立とうとする燕たちが電線の上に集まって、いろいろ話し合っている。若い燕たちは危険を伴う長旅や見たこともない海、あるいは海の上で一人ぼっちになるかもしれない不安と恐怖についてあれこれ尋ねるが、それに対して年老いた燕がこう答える。

ツバメ

―いや、心配しなくていいのだ。何も心配するには当たらない。海をまだ知らないものは訳もなくそれを飛び越えてしまふのだ。その海がほんとうに大きく思へるのは、それはまだお前たちではない。海の上でひとりぼつちになるのは、それはお前たちではないだろう・・・・・・。けれども何も心配するには当たらない。私たちは毎日こんなに楽しく暮らしてゐるのに、私たちの過ちからでなく起こつてくることが、何でそんなに悲しいものか。今までも自然がさうすることは、さうなつてみれば、いつも予め怖れた心配とは随分様子の違つたものだった。ああ、たとへ海の上でひとりぼっちになるにしても・・・・・・。(「燕」)

この詩をはじめ『測量船』にはいい詩が沢山ありますから、一度覗いてみてください。

それともう一冊、詩の案内書とも言える作品で、面白いのがあります。北村薫の『詩歌の待ち伏せ』1,2〈文春文庫〉という作品で、実に多彩な詩人たちの紹介が読みやすい、けれども決して『風の便り』のような妙に浮ついた文章でなく書かれているので、ぜひ読んでみてください。よき水先案内人を見つけると、旅の半分以上は終わったようなものですから、いい入門書、案内書に出会えたら、これほど幸運なことはありません。

どうか詩の世界に親しんで、心を広く、豊かなものにしてください。