フランシスコ・ザビエルといえば、十六世紀半ばに布教のために日本を訪れた最初の宣教師として有名ですが、彼がバスク人だということはあまり知られていません。スペインとフランスの国境にまたがってそびえるピレネー山脈とその周辺の海岸地帯に住んでいるバスク人は、冒険心に富み、尚武の気風があるといわれ、すぐれた航海家、勇猛な兵士、冒険家を数多く輩出しています。
布教のためとはいえヨーロッパからインドのゴア、マラッカを経て極東の地日本までやってきたザビエルの身体の中にはやはりバスク人の熱い血が流れていたのでしょうが、マラッカで出会った日本人のアンジロウの高潔さ、精神性、頭のよさに強く惹かれてはるばる海路を通って日本まできたことはわれわれにとっては誇らしくも嬉しいことです。
また、一九二五年に来日し、カトリック大神学校の初代校長をつとめたカンドー神父もフランス系ではありますがやはりバスク人です。ザビエルがその人格的魅力の輝きによって何百年もの間日本人から愛され、慕われているように、貫道というペンネームを用いて、達意の日本語で数々の名エッセイを残したカトリックの神父カンドーも忘れがたい人物としてわれわれの記憶に深く刻み付けられています。ただ、この人のエッセイが絶版なのが残念でなりません。
ほとんど知られていないのですが、日本を訪れたバスク人がもうひとりいます。フェンシングの達人で、気性の激しさが災いしてスペインで人をあやめたためにインドのゴアに逃れたユイズという人物がそうです。彼は極東の島に自分と同じように魁偉な容貌で、しかも武術にたけた人種がいると伝え聞いて、興味を持っていました。ある日、ゴアに寄港したポルトガル船が日本に向かうと聞いて、矢も楯もたまらなくなり司厨員として乗り込みます。




