勉強することを「学ぶ」といいますが、その語源は「まねぶ」、つまり「真似る」、「真似をする」ことだそうです。つまり、なにかを学ぶというのは、まず真似ること、模倣することからはじめるという意味なのですが、とりわけ外国語の習得には、この「まねぶ」ことが何よりも大切であることは言うまでもありません。
何かを「まねぶ」、学ぼうとすれば、手本が必要になります。それが先生というわけですが、中国の古い諺に「三年勤(つと)め学ばんよりは三年師を選ぶべし」というのがあります。つまり、三年間一生懸命勉強するよりも、三年間師を探し求めるほうが大切だという意味なのですが、ここに言う「師」というのは、「人生の師」、「師と仰ぐ」といった言葉からもうかがえるように、かなり重い意味を持っています。というのも、師というのは弟子が自らの手本にふさわしい人として選ぶもので、知識や技術に優れているだけでなく、人格的にも尊敬、敬愛できる人でなければなりません。つまり、先生は学校へ行けば見つかりますが、師となる人はどこにでもいるわけではないのです。
師というのは弟子から見てそれにふさわしい人のことを言うわけですから、「あの方は私の師です」という言い方はいいのですが、「私は君の師だ」というとなんともおかしなことになります。というのも、弟子に当たる人がその人を師にふさわしいと思っていなければ、とんだお笑い種になるからです。その意味でも、師というのは中々厳しい言葉ですね。
「師の謦咳に接する」という古い言葉もあります。謦咳というのは咳払いのことですが、常日ごろ咳が届くほど近い距離にいて尊敬する方に接し、話をうかがうという意味です。師と仰げる人の謦咳に接するためには、なによりもまず師に出会わなければなりませんが、これが中々むずかしい。たとえすぐれた方が身近にいたとしても相性が悪ければどうしようもありませんし、運が悪いとそういう人に出会うことができないでしょう。また、こちらに人を見る目がなければ、気づかずに通り過ぎてしまいます。それに、人間、欲があると心だけでなく、目も曇りますから、まず欲を捨てて人をよく見、相手の言葉に真摯に耳を傾ける必要があります。
外国語の「学びーまねび」を実践する中で、もしあなた方が「師」に当たるような人に出会うことができたら、きっと人生はとても豊かなものになるでしょう。
さて、先ほど師を見つけるには出会いがなければならず、これがなかなかむずかしいと言いましたが、もしどうしても見つからないようでしたら、本という馬に乗って時空の旅をして探してみてください。



