2009年度 オープンキャンパスにて

 カズオ・イシグロの『夜想曲集-音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』(土屋政雄訳。早川書房)が出ました。『日の名残』、『充たされざる者』、『わたしを離さないで』などすばらしい作品を発表しているイシグロの作品の新訳なものですから、ファンの一人としてはうれしいですね。

 ただ恥ずかしい話ですが、ぼくは音楽がどうも苦手で、たぶんこの作品もふつうの読者の半分くらいしか楽しめていないだろうなと考えると、悔しい限りです。どうして音楽が苦手になったのかという話は語るも涙の長い物語なので、またの機会に譲ることにしますが、こればかりは今となってはどうしようもありません。努力はしたんですけどね・・・・・・。

 村上春樹の『1Q84』でも音楽はとても重要な意味を持っていますよね。小説としてはとても面白く読んだのですが、音楽の話が出てくると何だか置き去りにされたようでさみしくなりました。

 『1Q84』はすばらしい小説なので、ぜひお読みください。一種のブームになったので、中にはあんなに売れる本はどうもね、といわれる方がおられるかもしれませんが、そういう方はどうかコロンビアのガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を思い出してください。この小説の売れ方は凄かったですからね。文字通り世界的な大ブームで、天文学的な発行部数を誇っていますし、今も多くの読者を惹きつけてやみません。売れ行きと本の良し悪しとはまったく関係がありませんからね。こんなことをくどくど書いたのも実を言うと、若い頃はぼくも売れ筋の本を毛嫌いしていい本を読みそこねた苦い経験があるからなのです。

 さて、『夜想曲集』ですが、ここには五つの短編が収められています。いずれも味わい深い作品で、読後にしみじみとした余韻が残ります。この中の「老歌手」という作品の語り手は、東欧出身のギタリストです。彼はヴェネチアのあちこちにある広場を渡り歩いて、そこのカフェ・バンドに加えてもらって演奏をし、生計を立てているのですが、そういう渡りのミュージシャンは《ジプシー》と呼ばれています。ある日、客の中に一時一世を風靡したアメリカの歌手トニー・ガードナーがいたのでびっくりします。

 私は興奮のあまり失礼だと思いつつ、演奏が終わると早速彼のそばに駆け寄ります。ガードナーは私の話に耳を傾けてくれて、実は母親があなたの熱烈なファンで、当時はなかなか入手できなかったあなたのレコードを沢山持っていたんですというと、大喜びします。その後、ガードナーから奇妙な依頼を受けます。というのも、妻と近くのパラッツォを借りて住んでいるのだが、妻のために今夜ゴンドラに乗ってセレナーデを聞かせてやりたいので伴奏してもらえないかと頼まれたのです。そこまでのストーリーを通して夫妻は仲がいいのだが、なんとなくギクシャクした雰囲気のあることが分かります。セレナーデが終わった後、ガードナーは私に次のように打ち明けます。つまり、妻のリンディとは愛し合っているが、自分はもうかつてのような大物ではない、もう一度歌手として脚光を浴びたいのだが、そのためにはもっとも大切にしているものを捨てて世間の注目を集めなくてはならないんだと言います。それ続く一節を引用しますと、

「ガードナーさん、カムバックのために奥様と別れるというのですか?」

「カムバックに成功した連中を見てみろ。とくに、わしと同世代ながらしぶとく生き残っている連中を・・・・・・。一人の例外もなく再婚している。二回、ときには三回もだ。全員、その腕に若い妻がぶらさがっている。わしとリンディでは物笑いの種だ。それにな、わしはもうある若い女に目をつけていて、向こうもわしに目をつけている。リンディにはもうわかっているさ。というか、わしなどよりずっと前から・・・・・・もうわかっている。わしらは話し合って、別々の道を歩むのが最善だと結論した」

 切ない話ですね。

 ここに出てくる語り手の私、ガードナー、リンディ、みんな魅力的でいい人なんです。そんな彼らがそれぞれに思いを抱きながら、相手をいたわっているやさしさ、悲しさがひしひしと伝わってきます。いい小説が心に残るのはこういうところなんだ、と改めて感じさせられます。そしてまた、結びの一節がいいんです。

 だが、ガードナーには二度と会うことがなかった。数ヵ月後、秋のある日、ガードナー夫妻が離婚したことを聞いた。フロリアンのウェイターがどこかで読んだと言って、教えてくれた。聞きながら、あの晩の記憶がどっとよみがえってきて、あれこれ思い返しながら少し悲しい気持ちになった。ガードナーはちゃんとした男だったと思う。カムバックを果たそうと果たすまいと、私にはいつまでも偉大な歌手の一人だ。

 他に「降っても晴れても」、「モールバンヒルズ」、「夜想曲」、「チェリスト」という短編が収められていますが、いずれも短いけれども読み応えがあって、心に残りますよ。

 十年以上も前のことですが、スペインにいる時にピレネーの山奥を旅行したことがあります。あるバス停でバスを待っていると、背の高い黒人の人がそばに来て、ここからアンドラ行きのバスに乗れますかと尋ねてきました。時刻表を見るとアンドラ行きがあったので、ええ、行きますよと答えたのですが、山間のバス停にはその人とぼくしかいなかったものですから、何気なくご旅行ですかと尋ねたら、いいえ、仕事を捜しに行くんです、スペインで仕事がなくなったので、アンドラへ出て、そこでもなかったらフランスに入るつもりですという答えが返ってきました。その後、いろいろな話をしているうちに、その人はアフリカ出身で、大学まで出たけれども、自国は部族間抗争による内戦で収拾がつかなくなり、亡命せざるを得なくなったとのことでした。この先どうされるんですかと尋ねたら、さあ、こうしてヨーロッパをさ迷い歩き続けて一生終わるんでしょうね、現状ではとても国には帰れませんからといって、さみしい笑みを浮かべたのが今も目に残っています。

 こんなことを思い出したのも、実は小野正嗣の『線路と川と母のまじわるところ』(朝日新聞出版)を読んだからですが、ここにはぼくの話よりももっともっと切なくて辛い、だけどいい話が詰まっていますので、ぜひお読みください。

Script Copyright; Eiichi Kimura