トップページ > 学長だより > 風の便りII > 風の便りII (第35回)
困ったときの神頼みといいますが、ぼくの場合「風の便りII 」で困ると、開高健のエッセイをひもとくことにしています。ですから、時々また開高健かと思われるでしょうが、そういう時は、ははん、困っているんだなとお考えください。
で、大変だ、と本棚を引っ掻き回していると、『白昼の白想』(文藝春秋)が目に入りました。たぶんこの本は絶版でしょうから、新潮社の全集でお読みください。このエッセイ集はもう何回も読んでいるのですが、開くたびに新しい発見があって、楽しいですね。それに、三十年から四十年前に書かれたというのに、少しも古びていないのに驚かされます。この中で取り上げられているさまざまな文学、自身の執筆にまつわる話は大変面白くて、文学について考える上で大いに参考になります。たとえば、「サルトル『嘔吐』」やアメリカ文学の特徴を鮮やかに要約した「遁走と回転」、「チェーホフ、ダァー! ドストエフスキー、ニエット!」、「金子光晴『新雑事秘集』『人非人伝』」などがそうですが、中でも傑作として知られる中井英夫の『虚無への供物』(これは凄い作品で、日本の推理小説が到達したもっとも高い極点のひとつとして忘れられません)のコメントがいいですね。
また、オーウェルを取り上げた「真実と教義の谷間」も見落とすことができません。スペイン戦争に参加したオーウェルはカタロニアで戦うのですが、その時に喉を銃弾で貫通されて声が出なくなり、妻に手を引かれて帰ることになります。その時のことを書いた著作の一節を取り上げて、開高健はこう書いています。
Frente Popular soldados, 1937或る日、オーウェルが塹壕からあたりを眺めていると、少しはなれたところで、ファシスト軍と人民軍とが戦闘をはじめた。人民軍は武器も弾薬も不足であったので、その日は敗れ、バタバタと倒れていった。それを見てオーウェルは、たとえ心の底から愛する味方であっても、それが倒れていくのを遠くの高い所から見ているのはたのしいものであると、書いているのである。さりげなくそう書いたあと、いかに彼が無名の若者たちのために塹壕からとびだして火線を突破していったかということが、淡々とつづく。
こういうことはよほど気を許した友人か妻でなければちょっと打明けられそうもない深夜の内緒話ではあるまいか。もし私がそのときオーウェルの立場にあったら、はたして書けるだろうか。どうだろうか。気になってしかたないので何度も考えてみたが、ハッキリと答えがでなかった。私には自信がなかった。いまでも自信がない。その場に遭遇してみなければわからないとつぶやいてみるのだが、何かしらたよりないところがある。
「よくあることじゃないんですか?」
話を聞いてからそう答えた人がいる。
この四、五行を書くか書かないかで、御用作家と独立作家が別れる。政治屋と作家が別れる。私にはそう思える。政治屋と革命家もここで別れそうである。政治屋はここを伏せるが、真の革命家ならここをこそ書くと感ずる。そうでなければなるまい。
苛酷で熾烈な状況に置かれた作家の心意気が感じ取れます。小説家であれば、友人の父親の葬式に参列した場合、片方の目で泣き、もう一方の目でまわりを観察せよ、という言葉もありますが、ものを書く仕事というのはやはり厳しいものがありますね。

もう一冊は、先ごろ邦訳の出たバーナード・マラマッドの『喋る馬』(柴田元幸訳。スイッチ・パブリッシング)です。アメリカのユダヤ系作家マラマッドのこの短篇集には、十一の短編が収められています。それぞれに辛くて悲しくて、なんとも切ない物語なのですが、底流に人間への揺るがしがたい愛となんとなくにじみ出るおかしさがあって、きっと心に残るでしょう。中でも辛いんだけれどもおかしかったのは「ユダヤ鳥」と「最後のモヒカン族」です。「窓が開いていたから、痩せこけた鳥は飛び込んできた。パタパタパタ、すり切れた黒い翼で。そういうものだ。開いていれば入る。閉まっていれば入らない。」という書き出しではじまる「ユダヤ鳥」では、突然ハリー・コーエンの一家が住むアパートに飛び込んできたくちばしの長い、言葉をしゃべる鳥のせいで引き起こされる騒ぎを描いたものですが、これがばかばかしくも悲しいのに、それでいて読んでいると思わず笑ってしまう、めったに出合えないほんとにいい作品です。
「最後のモヒカン族」もいいですね。ユダヤ人で、画家として成功を収めることのできなかったファイデルマンは、ジョットの研究に取り組むためにアメリカからイタリアにやってきます。そこで風采の上がらない、見るからに貧しそうな男から「シャローム」とヘブライ語で声をかけられます。男はススキンドという名前のユダヤ人なのですが、以後ファイデルマンの行く先々に姿を現して、金をせびったり、街頭販売をする資金を貸してほしいと迫るのですが、この二人のやり取り、駆け引きが実にいい味を出しています。
ある日、ススキンドをやっとのことで追い払った後ホテルに戻ってみると、それまでジョットについて一生懸命書き溜めた原稿の入った鞄がなくなっていました。ファイデルマンは以後ススキンドを追いかけることになるのですが、このあたりの絶望的な捜索劇もなんともおかしくて切ないですね。
十一篇の作品はどれもいいものですが、上記以外のものでは「ドイツ難民」、「天使レヴィーン」、「喋る馬」、「白痴が先」が印象に残りました。
最後に、マラマッドについて書かれた解説の一節を引き写しておきましょう。
(マラマッドの伝記を書いた)デイヴィスがサブタイトルをA Writer's Lifeとしていることからも窺えるように、マラマッドは何よりもまず書く人であった。ジャック・ロンドンのようにすさまじい勢いで次々作品を生み出していくタイプとは正反対に、推敲に推敲を重ねて作品を彫り上げていく書き手だった。伝記中でも一番興味深いのは、草稿と完成稿を丹念に比較して、マラマッドが、どちらかというと平凡な文章から、思いきり言葉を動かし、削っていくことによって独特の雄弁な文章を生み出していった過程を明かしている箇所である。
Script Copyright; Eiichi Kimura