今回はひとつ私小説風に自分の話を少ししましょう。ぼくが大学に入学し、その後教師になったのはすべてとんでもない偶然のなせるわざでした。受験の年にたまたまイスパニア(スペイン)学科が新設されたのですが、当時は神戸市外国語大学という大学があることすら知りませんでした。同級生が受験参考書で神戸外大にイスパニア学科が新設されるという個所を見つけ、一緒に受けようと誘ってくれたのです。ところがその同級生は先に私学に通ってしまい、ぼくのほうは三校ほど受けて全敗し、最後に残された学校がこの外大だったのです。実を言うと、あまり受験勉強をしていませんでしたし、とりわけ数学が苦手で(当時は数学も必須科目でした)まずだめだろうと思っていたのですが、たまたま受験の前日に参考書で勉強した幾何の問題と同じものが出題されたのです。あの時はわが目を疑いましたが、うれしかったですね。
後で聞いたところでは、それほどの幸運に恵まれたというのに入学時の成績は後ろから二番目だったそうですから、あの幾何の問題が出ていなければ……。入学後はとにかく外大に入ったのだから、まず外国語を身につけようと考えました。四年生になった時にイスパニア学科のクラスから教師としてひとり残るという話が出てきました。ぼくは商社に行くつもりで、受ける会社も決めていたのですが、いろいろとあっていつの間にか残ることになってしまいました。
さて、教師になってみると、これが大変です。スペイン語は四年しかやっていないのでよく分からない、加えて自分自身を顧みると、どう考えても学者というタイプではない。さて、どうしたものかと考え込みました。当時は明治人らしい気骨のある、少々おっかない故高橋正武先生が学科長だったのですが、ある日その先生から、木村君、ご飯でも一緒に食べようかと誘われました。おっかなびっくりついていくと、食事をしながら、授業をすれば多分わからないところがでてくるだろう、その時は嘘をついたり、ごまかしたりしてはいけない、分かりません、後で調べておきますと言いなさい、そしてあとで尋ねるなり、調べるなりしなさいと教えていただきました。その時に先生から、十年辛抱することだ、そうしたらそれほど頭がよくなくても先生として一人前になれる、XX大学のM君がいるだろう、あの君はけっして頭はよくなかったが、ごまかしたり、嘘をつかなかったからあそこまでいけたんだ、と言われたのですが、この言葉は身に沁みました。
しかし一方で、この先研究者としてどこに向かって進めばいいのか分からないという悩みがありました。というのも、先ほど言ったように自分がいわゆる学者タイプでないことはよく分かっていましたし、ではどうすればいいのだろうというのが頭の痛い問題だったのです。そんな中、あれやこれや考えているうちに、ふと自分の好きなことで、スペイン語でやれることをやればいいのだということに思い当たりました。もともと文学は好きだったので、文学をやろう、では、何を? その時に、自分が昔翻訳された本を読んでとても感動したことを思い出したのです。そうだ、だったら翻訳をしてみよう、ただ、高橋先生が言われたように先生として一人前になるのに十年かかるのなら、翻訳にも十年かければいい、そのためにはまずスペイン語が正確に読めるようになること、そして日本語がきちんと使えるようなるように頑張ればいいのだ、という結論にたどり着きました。
ぼくが最初に出会って感動した作品は少年向きの作品ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』でした。小学生時代の夏休みに、母方の祖父が買ってくれたのですが、今でもブリアン、ゴードン、ドノバン(訳によってはドニファンとなっているのもあるそうです)、バクスターといった名前を聞くと、あの本に関わりのない場合でもなんとなく懐かしい旧友の名前を聞いたような気持ちになります。それからは同じヴェルヌの『地底旅行』、『月世界旅行』などを読みましたし、ネモ船長やノーチラス号といった名前を聞くとただちにわくわくしながら読んだ『海底二万里』を思い出します。また、その頃に偶然手にしたロフティングのドリトル先生シリーズやドイルのシャーロック・ホームズもの、モーリス・ルブランが創造した怪盗紳士アルセーヌ・ルパンを主人公にした作品(こちらはモンキー・パンチのアニメよりもはるかにカッコいいので、ぜひお読みください)などなど、いくらでも出てきますし、こうした作品がぼくの人生をどれほど豊かにしてくれたか計り知れません。たまたま、ドリトル先生の話が出たので思い出したのですが、これは井伏鱒二の名訳で、今も書店に並んでいますので、少年文庫だとばかにしないでのぞいてみてください。



