やがて成長したガルシア=マルケスは、現実離れした事件が次々に起こる一族の歴史を小説に書こうと考えるのですが、どうしても文体が決まらずに苦しんでいました。つまり、現実にあったことと幻想的というほかはない奇妙な事件とが渾然と溶け合った世界を描くにはどうすればいいか分からなかったのです。ある日、非現実的な出来事を今見てきたばかりだというように表情ひとつ変えずにしゃべっていた祖母の語り口を生かせばいいのではないか、そう考えて完成させたのが『百年の孤独』(鼓直訳、新潮社)です。つまり、ラテンアメリカ文学の傑作として世界中の読者に愛読されているこの作品の背後にはケルト人が語り伝えてきた民話、伝説の語り口が息づいているのですね。
のちに彼は幻想的な性格を備えた自分の作品について次のように語っています。
祖母にとっては神話や伝説、民間の信仰といったものが「ごく自然な形で日常生活の一部になっていたんだ。祖母のことを考えていてふと、作り話をしていたのではなくて、単に予兆や癒し、予感、迷信に満ちた世界を素直に受け入れていただけなのだ。そしてそうした世界がわれわれにとってなじみぶかい、きわめてラテンアメリカ的なものだということに思い当ったんだ。たとえば、われわれの国にはお祈りを唱えると、牝牛の耳から蛆虫がぞろぞろ這い出してくるという人間がいるだろう。ああいう人間を思い浮かべてみればいい。ラテンアメリカの人間であるわれわれの日常生活にはそうした事例がいくらでも見つかるはずだよ。」
「お祈りを唱えると、牝牛の耳から蛆虫がぞろぞろ這い出してくる」というのは、どう考えても魔術ですが、ガルシア=マルケスが生まれたカリブ海沿岸では今も魔術的なものが生きています。ハイチを中心とするカリブ海沿岸の多くの国では、西アフリカに起源を持つ魔術的な宗教ブードゥー教が今も信仰されているのです。アメリカのホラー映画にゾンビーという怪物がよく出てきますが、この墓場からよみがえった死者というのはもともとブードゥー教の蛇体の神のことだそうです。
キューバの作家アレホ・カルペンティエルの小説『この世の王国』(現在は絶版です)は十九世紀はじめのハイチが舞台になっています。ここに出てくる逃亡奴隷のマッカンダルは、追手から逃れるために、蛾、イグアナ、犬、ペリカンとさまざまに姿を変えて逃走するのですが、この変身は魔術を信じている黒人奴隷たちの目に映る現実なのです。カルペンティエルのこの作品にはほかにもブードゥー教の魔術的な要素がふんだんに盛り込まれています。
グアテマラの作家ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの作品にも特異な世界が描かれています。幼い頃マヤ族のインディオと一緒に育った彼は、彼らのものの見方や神話、伝説を知悉していて、それを作品に投影させています。彼はインディオのものの見方について面白いことを言っているので紹介しておきましょう。ある対談の中で宗教的、祭儀的な下地のあるマヤ族や混血の人たちを取り上げて、彼らには魔術的な想像力が備わっていて、雲や岩が人間、あるいは巨人に姿を変えることがあると述べ、こう続けています。
たとえば、泉へ水を汲みにいった女性が深い淵に落ちたり、男が落馬したとします......。その場合、彼らは女性が淵に落ちたとは考えないのです。淵がその女性を蛇、あるいは泉に変える必要があった、だからその女性を呼び寄せたのだと考えます。落馬した男の場合も同じで、いつもより酒を飲みすぎたために落馬したのではなく、馬から落ちたときに頭を石にぶつけて割れたのなら、石が彼を呼んだのであり、溺れ死んだのなら、川、あるいは小川が彼を呼び寄せたのです。......《魔術的リアリズム》がインディオ特有の心性と深く結びついていることは言うまでもありません。
どうやら世界にはまだまだ未知のものがたくさん秘められているようですね。このアストゥリアスが語っている世界を知りたければ、『グアテマラ伝説集』(牛島信明訳、岩波文庫)をお読みください。マヤ族のインディオが語り伝えてきた美しく、妖異な世界が目の前に広がることでしょう。
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