Study for The Quarrel of Oberon and Titania
Study for The Quarrel of Oberon
and Titania

 世界には今も妖精の存在や魔術を信じている人がいると言えば、びっくりされるかもしれません。しかし、アイルランドの詩人W・B・イエイツは『ケルト妖精物語』(井村君江訳、ちくま文庫)の中で次のように言っています。

 アイルランドでは妖精たちはいまだに生き残っていて、心やさしい者たちには恩恵を与え、また、気むずかし屋たちを苦しめている。「今までに妖精フェアリーとか、何かそういったものを見たことがありますか」とわたしはスライゴー地方の老人に尋ねてみた。「奴らには困ったもんだよ」という答えが返ってきた。

 この文章を読むと、どうやら妖精はケルト系の人たちが多く住んでいるアイルランドやウェールズ地方では今もまだ生きているようです。比較文化学者の井村君江さんがスライゴーの北のリスナラーグという村を訪れたのですが、その時に巨石古墳のドルメンが立ち並ぶ気味の悪い場所に足を向けます。土手をのぼって古代の住居跡に出たところ、風もないのにまわりの樫の木がざわめいたのですが、それを見て、タクシーの運転手さんが「シー(妖精)だ!」と叫んで、逃げ出したそうですから、運転手さんもやはり妖精の存在を信じていたんですね。

Lafcadio Hearn and his wife
Lafcadio Hearn and his wife

 以上の話は司馬遼太郎の『愛蘭土アイルランド紀行 I,II』(朝日文庫)の受け売りですが、この本にはまたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)にまつわる面白い話が出てきます。彼は熱心なカトリック教徒である大叔母の手で育てられたのですが、幼い頃から極度に臆病だったので、大叔母はそれを矯正してやろうとして暗い部屋で寝るように言いつけました。しかし、そのせいでいっそう臆病な子になったそうです。この大叔母もやはりアイルランド人、つまりケルト系の人だったので、ハーン少年にさまざまな民話や伝説を語って聞かせたにちがいありません。このハーン少年が成長して、世界を巡り歩いた後に日本にやってきて、『怪談』をはじめとするさまざま著作を残したというのはおもしろいですね。この『怪談』は古くから日本に伝わる怖い話を奥さんがハーンに語って聞かせたのがもとになっているそうですから、民話や伝説の力というのは侮れません。そういうものを迷信だといってあっさり切り捨てる人は、文化の基底にある大切なものを切り捨てているわけですし、こと文学に関してはそうした民話、伝説が腐葉土のように地味を豊かにしていることを忘れてはなりません。

 実を言うと、コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスもハーンによく似ています。いや、単に似ているだけではありません。というのも、ガルシア=マルケスは幼い頃事情があって、祖父母の手で育てられたのですが、祖母がケルト人の多いことで知られるスペイン北部のガリシア地方出身で、ケルト人の血を引いていたのです。そんな祖母が幼い彼をつかまえて、身の毛のよだつような恐ろしい話や信じがたい民話、伝説を語って聞かせたのですから、彼がハーン少年と同じように臆病な子供に育ったのも無理はありません。

Gabriel Garcia Marquez
Gabriel Garcia Marquez

 やがて成長したガルシア=マルケスは、現実離れした事件が次々に起こる一族の歴史を小説に書こうと考えるのですが、どうしても文体が決まらずに苦しんでいました。つまり、現実にあったことと幻想的というほかはない奇妙な事件とが渾然と溶け合った世界を描くにはどうすればいいか分からなかったのです。ある日、非現実的な出来事を今見てきたばかりだというように表情ひとつ変えずにしゃべっていた祖母の語り口を生かせばいいのではないか、そう考えて完成させたのが『百年の孤独』(鼓直訳、新潮社)です。つまり、ラテンアメリカ文学の傑作として世界中の読者に愛読されているこの作品の背後にはケルト人が語り伝えてきた民話、伝説の語り口が息づいているのですね。

 のちに彼は幻想的な性格を備えた自分の作品について次のように語っています。

 祖母にとっては神話や伝説、民間の信仰といったものが「ごく自然な形で日常生活の一部になっていたんだ。祖母のことを考えていてふと、作り話をしていたのではなくて、単に予兆や癒し、予感、迷信に満ちた世界を素直に受け入れていただけなのだ。そしてそうした世界がわれわれにとってなじみぶかい、きわめてラテンアメリカ的なものだということに思い当ったんだ。たとえば、われわれの国にはお祈りを唱えると、牝牛の耳から蛆虫がぞろぞろ這い出してくるという人間がいるだろう。ああいう人間を思い浮かべてみればいい。ラテンアメリカの人間であるわれわれの日常生活にはそうした事例がいくらでも見つかるはずだよ。」

「お祈りを唱えると、牝牛の耳から蛆虫がぞろぞろ這い出してくる」というのは、どう考えても魔術ですが、ガルシア=マルケスが生まれたカリブ海沿岸では今も魔術的なものが生きています。ハイチを中心とするカリブ海沿岸の多くの国では、西アフリカに起源を持つ魔術的な宗教ブードゥー教が今も信仰されているのです。アメリカのホラー映画にゾンビーという怪物がよく出てきますが、この墓場からよみがえった死者というのはもともとブードゥー教の蛇体の神のことだそうです。

 キューバの作家アレホ・カルペンティエルの小説『この世の王国』(現在は絶版です)は十九世紀はじめのハイチが舞台になっています。ここに出てくる逃亡奴隷のマッカンダルは、追手から逃れるために、蛾、イグアナ、犬、ペリカンとさまざまに姿を変えて逃走するのですが、この変身は魔術を信じている黒人奴隷たちの目に映る現実なのです。カルペンティエルのこの作品にはほかにもブードゥー教の魔術的な要素がふんだんに盛り込まれています。

グアテマラの作家ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの作品にも特異な世界が描かれています。幼い頃マヤ族のインディオと一緒に育った彼は、彼らのものの見方や神話、伝説を知悉していて、それを作品に投影させています。彼はインディオのものの見方について面白いことを言っているので紹介しておきましょう。ある対談の中で宗教的、祭儀的な下地のあるマヤ族や混血の人たちを取り上げて、彼らには魔術的な想像力が備わっていて、雲や岩が人間、あるいは巨人に姿を変えることがあると述べ、こう続けています。

たとえば、泉へ水を汲みにいった女性が深い淵に落ちたり、男が落馬したとします......。その場合、彼らは女性が淵に落ちたとは考えないのです。淵がその女性を蛇、あるいは泉に変える必要があった、だからその女性を呼び寄せたのだと考えます。落馬した男の場合も同じで、いつもより酒を飲みすぎたために落馬したのではなく、馬から落ちたときに頭を石にぶつけて割れたのなら、石が彼を呼んだのであり、溺れ死んだのなら、川、あるいは小川が彼を呼び寄せたのです。......《魔術的リアリズム》がインディオ特有の心性と深く結びついていることは言うまでもありません。

どうやら世界にはまだまだ未知のものがたくさん秘められているようですね。このアストゥリアスが語っている世界を知りたければ、『グアテマラ伝説集』(牛島信明訳、岩波文庫)をお読みください。マヤ族のインディオが語り伝えてきた美しく、妖異な世界が目の前に広がることでしょう。

Script Copyright; Eiichi Kimura