2007.07.27

おすすめ資料 第35回 「映画」についてあの人に聴いてみよう

ヒッチコック, トリュフォー著山田宏一, 蓮実重彦訳 『定本映画術』 改訂版晶文社 [N778.253-11]

映画をどう「みる」かはもちろん「みる」人の自由です。ストーリーやキャスト、大道具・小道具それに音楽等々、映画を構成する重要な要素はたくさんあります。けれど、映画が「みる」ものであり、つくり手から言えば「みせる」ものであるということが映画のアルファでありオメガであることを否定することはできないでしょう。

そして「みせる」という映画の本質を知り尽くしているという意味で、A.ヒッチコックの右に出る監督はないといってしまってたぶん間違いないと思います。そのヒッチコックが自分の映画を題材に、F.トリュフォーというこれ以上望めない聞き手を得て、自分の映画術を、こんなに種明かしをしてしまっていいのかしらと思えるほど語りつくしたのが『定本映画術』です。

毒入りのミルクを際立たせるために豆球を仕込むなど朝飯前のヒッチコック、大部な書物の中からほんのちょっとその「さわり」を引用してみます。

「今つくられている映画の大部分がとても<映画>とは言えない代物だ。<しゃべっている人間の写真集>とでも呼びたいくらいだね」(p.50)
「よく批評家たちからは『ヒッチコックにはテーマがない』とか『ヒッチコックは何も言うべきものを持っていない』などと非難されるわけですが、この批判に対する答えは、ただひとつ、『映画作家は何かを言うのではなく、見せるだけだ』ということではないでしょうか」(p.127)。

読み終わったら、自分の映画に対する考えが、すっかり違ったものになってしまっているかもしれませんよ。

2007年7月27日(牛)