神戸市外大

休学して地域の魅力を発信したわたしの活動は外大ではメジャーではないけど、そのぶん「HaMiDaSu体験」をできたと思う。

笹島唯 外国語学部 国際関係学科 2018年度入学/2022年度卒業

神戸市外大で休学といえば留学。
でも、長期留学の目処が立たなかった。

 大学でのわたしの大きな目標は海外での長期インターンシップでした。2年生の2020年3月から行こうと計画していたのですが、新型コロナウイルスの影響で渡航の目処がまったく立たなくなってしまって…。それで、大きな目標を失ってしまいました。
 4月になると3年生ということでまわりは“就活モード”でしたが、わたしはじぶんのやりたいことが分からなくなり、迷走していました。

おうち時間が増えたことで、先輩や友だちと話をする機会も増えました。

 コロナ禍でよかったと言うとヘンですが、おうちにいる時間が長くなったおかげで先輩や友だちと話す機会が増えました。そんなとき、日本文化について語りあったり、お互いの地元を紹介し合うようなことがあったんです。
 それがきっかけになって、「じぶんはもともと地元のために何かしたいという思いを抱いていたんだ」ということを思い出しました。それで、帰省したときにいろんな方にじぶんがやってみたいと考えていることを話して、いわばアイデアの壁打ちみたいなことをやってみたんです。

 その結果、最終的に行き着いたのは「学生のわたしだからこそできるのは、地元にある魅力を再発信する」という考えでした。

(注)壁打ちはテニスなどの練習方法のひとつで、ひとりで壁に向かってボールを撃ち続けること。

オーストリア留学時代に感じた不思議な違和感が蘇った。

 じつは1年生春にオーストリアへ留学した経験があります。そのとき訪れた国立歌劇場や大聖堂など、さまざまな歴史的建築物にわたしはとても感動しました。でも、現地のひとたちはいくら建築物の希少性や文化性を理解していても、けっして観光客と同じように感動はしていないんです。そのときは不思議に思っていたのですが、じぶんも地元にいる間は外のひとなら感動を覚えるような「地元にしかない魅力」に気づいていませんでした。

 わたしの地元富山県朝日町には歴史のある伝統産業がいくつもあるのに、地元のひとは誰もが決まって「まちには何もない」と言うんですよね。

シュテファン大聖堂内

ホストファミリーとルームメイト

地元にしかない魅力にわたし自身が気づいていなかった。

 大学の友人という外からの視点を受けてはじめて、「あっ、あの伝統産業が朝日町の魅力だったのか…」と、気づきました。じぶんの足で情報を集め外の視点も取り入れながら、まちの中のひとたちにこそ「これが朝日町の魅力なんだ」と知らせたい、気づかせたいと思いました。これはまちに対する愛着を高めたくてはじめた活動なんです。情報発信はいわばそのためのきっかけです。
 伝統産業に関わる方々の思いをちゃんと聞き取るには、じっくり取り組みたいと思いました。そのためには多くの時間を注ぐことができる“休学”という手段が適切だと考えたわけです。オンラインでお話をお聞きすることや週末帰省はまったく考えませんでした。交通の便が悪いということもありますが、拠点を地元に移して地に足をつけて取り組もうと考えました。
 3年ぶりに帰ったまちは、変わったところも、変わっていないところもありましたが、ここにいることでじぶん自身としてはとても落ち着くことができました。やりたいことが分からなくなって迷走していたじぶんがウソのようでした。

朝日町の春

1年間休学して地元の伝統産業を発信した。

 4年生になる2021年4月から2022年3月まで1年間休学して、地元富山県朝日町に伝わる伝統産業について取材を行い、Instagramやnoteを通じて発信をしました。それまでにつながりがあったことから主に観光協会の方に地元で受け継がれている伝統産業のことを教えてもらいました。
 収穫したワカメに灰をまぶして長期保存を可能にする「灰付けワカメ」、いまや作り手がたったひとりの鍛冶職人しか存在していない「泊鉈/とまりなた(林業や狩猟でつかう刃物)」、地元でしか製造されていない「バタバタ茶(山村で飲まれている発酵茶)」、地元に産出するヒスイをイメージして開発された「ヒスイ羊かん」の4つです。
 それらのことを知るほどに外の方ではなく地元のひとにこそ知って欲しい、地元の魅力が詰まった文化だと強く思いました。まちのひとに知らせることで伝統産業という地域に根差した文化を通じて土地に愛着を持ってもらおう。住んでいるひとのまちへの想いが強くなっていけば、きっと“できることはないか”“じぶんも何かをしたい”“残したい”という空気が伝染していくだろうと念じながら発信を続けました。

灰付けワカメの天日干し作業

泊鉈の鍛冶屋さん

バタバタ茶の製造過程

ヒスイ羊かんをつくる和菓子屋さん

大学にいたままではゼロからの経験はできなかった。

 この活動は誰かがやっていたものではありません。すでにあった企画や活動に加わったものでもありません。自分自身で考えて、進めて、つくりあげていかねばなりませんでした。ゼロから出発ということは、わたしにとってはかなりの困難をもたらしました。いつかは地元のためになにかで役立ちたいという想いはありましたが、スキルも足りないし経験もありませんでした。
 大学の中にいたらきっと、やることのすべては与えられた枠組みの中でやれたと思うのです。じぶんでやるということはある意味正解がないんです。すごく悩みながら、少しずつトライアンドエラーを繰り返しながら、考えて、考えて、行動して、修正してという日々でした。
 どうお話を聞いたら良いのか、どんな写真を撮れば良いのか、どんな内容をどんな言葉で発信したらまちのひとたちが愛着を持つのか。それはいま考えると、たどりつくゴールを探る行為だったのではないかと思います。

活動で得たものは“無形の財産”。

 繰り返しになりますが、この活動で得たものは「ゼロから活動をつくりあげる」ということです。誰かがつくった組織やすでにあったルールの中でやるのではなく、じぶん自身で枠組みやルールをつくっていく経験ができたことはほんとうに貴重な体験だったと思います。
 いろんな方と関われたので、いろんな価値観にふれることができました。ありがたいことに、この活動に興味を持っていただいた方からお話をしたい、一緒に活動をしたい、メディアで取り上げたいなどいろんなお話をいただきました。
 肩書きではなくわたしという個人の想いに共感してくださった結果、いろんな方と繋がることができたんだと思っています。
 小さな実績に過ぎないかもしれませんが、将来のじぶんへのワンステップを踏むことができたのではないでしょうか。
 外国語大学と言えば“語学”や“国際”と思われがちですが、それだけではないことを認識できました。じぶんは資料を読み込んだり、情報をじぶんの言葉でまとめたりすることが好きなんだとわかりました。書く分量が多くても楽しみながら書くことができたことで、それがじぶんの強みのひとつだと自覚できました。これは「ひとつ、じぶんのアインデンティティが増えた」、そんな感覚です。

後輩の皆さんも、いちど立ち止まってほしい。

 大学に入学した時点ではやりたいことはまだ明快ではありませんでした。4年間で見つけようと思っていましたが、あのまま休学せずに大学にずっといたら、ほんとうにやりたいことと出会えないままだったと思います。後輩の皆さん、いちど立ち止まってじぶんのやりたいことをじっくり考えてみるのも良い時間の使い方ではないでしょうか。じぶんのやりたいことにワクワクする、その胸の高鳴りを大切にしてほしいと思います。

◎笹島さんの活動の記録(Instagram、note、YouTube)、活動の様子が掲載された記事(地元の広報誌、毎日新聞)がまとめらています。 「あさひまち物語」https://lit.link/storiesinasahitown

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