
新卒で就職という、
一般的な道を
選ばなかったわたし。
久喜朱音 外国語学部 中国学科 2016年度入学/2021年度卒業
上海への留学中の2018年度に出会った方と、卒業間近の2021年3月に日本で法人を設立することになりました。一般的には大学を卒業して就職という道を選ぶのですが、わたしは社会経験のないまま在学中に起業しました。周囲の友人たちとまったく違うチャレンジをしたことは、わたしだけの「HaMiDaSu体験」だったのではないではしょうか。大学で培った中国語の語学力や上海への留学時代に築いたネットワークなど、ビジネスの土台があったからこそ実現できたと思っています。
英米学科志望だったけど、
ある理由から高校3年生で
中国学科を受験することを決意。
そもそもわたしの人生が変わったのは、神戸市外大の中国学科を受験すると決めた高校3年生の夏ごろのことです。じつは、毎朝高校へ登校する前に朝ドラを観るのが、わたしの習慣でした。そのドラマに出ていた俳優が気になっていたのですが、彼が台湾ドラマに出演していたと耳にして、その動画を調べました。ところが、中国語字幕のものしかなくて、日本語の字幕のものは見つかりませんでした。気になる俳優がドラマの中で言っていることをわかりたい!その一心で中国語を勉強することに決めたんです。それまでずっと英米学科志望だったのに、突然、中国学科志望に変更したので、周りのひとたちにはとても驚かれました。でも、それからは大学に入って中国語を勉強できるのが、楽しみで仕方がなくなりました。
有名大学に留学できたこと、
上海留学中にさまざまな方と知りあえたことなどが、
起業の大きな財産になっています。
わたしは本当に運が良いというか、恵まれていると思います。中国政府の奨学金をいただいて、上海でトップクラスといわれている復旦大学に留学することができました。じつは補欠合格だったんですが、運も味方してくれたのか、第一志望の復旦大学に入学できました。おまけに奨学金のおかげで、学費や寮費の心配をせずに済みました。有名大学に留学できたことが、プライベートはもちろんビジネスで出会える中国の方との距離がぐっと近くなった大きな理由だと感じています。そのうえ、「日中友好成人式」というイベントに誘ってもらったことが、ひととの繋がりに大きな変化をもたらしてくれました。

留学した復旦大学

復旦大学の校門のひとつ

前期の時間割。月曜日は全休だった

留学中に北京へ旅行

留学中に蘇州へ旅行
その後の運命を変えた、
日中友好成人式での交流。
「日中友好成人式」は日中の新成人が参加し、友好を願いながら互いの門出を祝う式典です。会場は上海の日系有名ホテルで、誰もが知る日本企業が何社も協賛する大規模なものです。わたしは友人に誘われて、そこに運営側のスタッフとして参加しました。企画部に所属して、ゲームの企画や当日の運営に携わりました。初対面のひととチカラを合わせて運営していく楽しさを味わえたうえに、外部のひとと一緒に何かを考えて実行していく経験は、その後のいろんな場面で役立っていると思います。中国の学生と日本の学生が、中国語と日本語をまじえてコミュニケーションをとりながらの活動は、日本では得難いものでした。異文化交流の場であること、さまざまなバックグラウンドを持つひとたちと協力して信頼関係を築くこと、異国の地でプロジェクトに挑戦すること。どれもが、日本での学生生活ではぜったいに経験できなかったと思います。

日中友好成人式で企画部の友達と

日中友好成人式に参加したスタッフと新成人の集合写真

日中友好成人式に参加したスタッフの集合写真
大学3年生の後期になっても、
なかなか就活に踏み切れないでいた。
中国から帰国し日本語教師のアルバイトなどもしつつ、すぐに就活の時期を迎えました。もう大学3年生の後期でしたから、就活に本腰を入れないといけないのに、社会人になることに不安や戸惑いを持ち、就活に踏み切れないでいました。
そんなわたしに、上海で知り合ってから交際を続けていたパートナーが、「無理に就職するくらいなら、一緒に会社を立ち上げよう」と、声をかけてくれました。“大学を出たら就職するのが当たり前”と考えていたわたしには、思いもつかない考えでした。“そうか、卒業したら就職するということだけが選択肢じゃないんだ”という考えを持つことができたおかげで、リラックスして就職活動をすることができました。第一志望の企業1社だけにエントリーした結果、第4次選考まで進んだものの不採用になってしまいました。そこから、会社を立ち上げることへ、本格的に気持ちが向いていきました。

知り合いの個人塾での日本語授業の様子
「新卒で就職」という道を選ばず、
社会経験のないまま22歳で起業。
パートナーと相談した結果、さまざまな理由から、わたしが代表取締役に就任する方向で準備を進めました。まったく経営の知識も実務の経験もありませんでしたから、簿記や貿易実務など経営に必要な勉強に取り組みました。カタチだけの肩書ではなく、会社のリーダーとしてしっかりと経営に取り組んでいこうと考えました。それに、周囲の友人たちはみんな就職活動に懸命だったので、わたしもなにか将来に向けた活動をキチンとしなければと考えました。その結果、大学の卒業を目前にひかえた2021年3月12日に会社を設立しました。


設立した会社のロゴ

京都での展示会。レセプションパーティーでアーティストの作品を紹介
中国語のチカラをいかし、
会社は想像していた以上に成長しています。
会社の設立については、当たり前ですが両親から猛反対をされました。会社の経営計画を両親に対してプレゼンテーションしながら、数ヶ月もかけて説得しました。会社はアクセサリーパーツやケースの輸出とアートギャラリーの運営をおもに手掛けています。あとは副業的に中国の方に日本語を教えています。一緒に起業したパートナーとは結婚することになりました。会社経営に関してはなんの経験もありませんが、パートナーとチカラを合わせて、少しでも成長できるよう日々頑張っています。ことし5期目になります。売上額は目標を超え、現在も成長中です。最初は猛反対だった両親が、いまではいちばんの応援者になってくれています。この先は、アートの事業をタイやベトナムなど東南アジアに進出させて、日本の若手アーティストのチカラになっていきたいと考えています。また、観光業や不動産業、教育業も手掛けていきたと考えています。
「新卒で就職」という当たり前のレールに乗りませんでしたが、怖がらずにじぶんのやりたいことに責任を持ってやっていれば、必ず報われるということもわかりました。じぶんの会社だから、成功も失敗も、じぶんに返ってきます。そのぶんやりがいも大きくて面白いと思います。いつかは、じぶんの事務所を持つのが夢です。1階をギャラリーにして、2階をオフィスにして、ひとも雇っていきたいです。すべてが中国留学で得た貴重な縁と、幸運な偶然が重なったおかげだと感謝しています。


弊社が日本代理店を務めるギャラリー

母と義母と マカオにて
言葉を学ぶことは、
その国の文化を知ることに繋がります。
語学の学習にも、時代によって人気のサイクルがあるように思います。最近は、経済や国際情勢の影響で学ぶことを躊躇われがちな言語もあるのではないでしょうか。「どうして、その国の言語を学ぶの?」というような声を耳にすることもあります。でも、わたしは「むしろ、そういう風向きだからこそ学ぶべきだ」と、強く思います。言語や文化を知らなければ、相手の思考回路は理解できません。どう対処して、どう関わっていくかも見えてきません。言語を学ぶことで、その国の内面を知る鍵を手に入れることができます。誤解や偏見は無知から生まれます。
言語や文化を知り、その国のひとたちと直接向き合うことでしか見えてこない真実があります。それは、ニュースやSNS、他人の意見からは得られないものです。言語を通じて、じぶんの世界を広げることは、未来のじぶんやこの国の社会にとっても、価値のある一歩となることでしょう。