神戸市外大

アスタナ、ドバイ、大阪。
3つの万博で働いた経験は、
これからのわたしの人生を、
どう変えてくれるだろう。

佐藤美沙 外国語学部 ロシア学科 2015年度入学/2019年度卒業

 高校時代から英語は好きでした。でも英語はまわりに優秀なひとがいっぱいいましたし…。そのひとたちと同じレベルにはなれないのではないかと感じていました。だから、英語ではない言語を学びたいと、思っていました。たぶん、ひとにはない強みがほしいというのもあったのかなと、思います。外国語を学べる大学の学科を探しているうちに、神戸市外大のロシア学科を見つけました。
 ロシア語は実際に習ってみると、英語との共通項はあまりないけれど、語学が好きという、こころの根底にある気持ちがロシア語の習得に役に立っているのかなと、感じました。なんとなくですが、語学を通してコミュニケーションをとりたい、楽しみたいという気持ちはどんな語学の習得に対しても通じるところがあると思います。

授業で学んだロシア語を磨きたくて、
ロシア語クラブに入部しました。

 部活にまでロシア語のクラブを選んだ理由は、授業で学んだことをアウトプットする場がほしかったからです。ネイティブの先生を中心にそこへ集まった学生が喋るという“会話クラブ”みたいな感じのクラブでした。活動のメインは毎週1回、先生の部屋に集まってお茶を飲みながら喋るというものです。先生以外にも留学生との会話もあったりして、だんだん喋れるようになっていくし、先生が話しかけてくれることがわかるようになっていくのを実感できました。「ああ、こう言えばいいんだ」と、吸収できることが多かったですね。最初のころはほとんどわからなかったけれど、先輩が訳してくれたりするので助かりました。そのうち、じぶんが上級生になると下の学年のひとに訳してあげたりできるようになっていきました。実践的でとても有益な場でした。日常の活動以外にも学園祭への出店、ロシア語コンクールやロシア領事館でのイベントへの参加などもあり、活動は活発でした。授業だけでは得られない、生のロシア語とリアルなコミュニケーションに触れることができる貴重な場になりました。

ロシア語クラブ。先生や留学生とテーブルを囲み、毎回さまざまな話をしていた

学園祭にロシアのクレープ「ブリヌィ」を出店。ロシアのジャムを調達して本場の味を再現

ロシア語コンクールでのスピーチ

関西の大学でロシア語を学ぶ学生たちが集うロシア領事館でのイベント「ロシア語の夕べ」。
ロシア語で劇や歌を披露し、他大学との交流を楽しむ

在学中にカザフスタンで開かれた
アスタナ万博のアテンダントになりました。

 3年生になり、カザフスタンで開催されたアスタナ万博でアテンダントとして勤務しました。ロシア語をいかせる求人があると、ロシア学科の先生が教えてくれたんです。カザフ語は話せないけど、ロシア語での募集でしたので、選考を受けて約40名のアテンダントのひとりとして採用されました。以前、外国に行ったときに外から見た日本の良さを実感し、日本を世界に発信する役割を担いたいと感じていました。行ったのは5月〜9月の4か月。万博は3か月ですがプラス1か月の研修があり、合計4か月ほどの滞在でした。研修は整列の仕方やお辞儀の仕方、メイクや身だしなみなどの指導もあり、けっこう厳しいものでした。
 海外で1か月以上過ごすのははじめてでした。そのうえ、アルバイトもしたことがなく、働くということ自体がはじめてでした。後期からは留学することが決まっていましたから、前期のほぼ大半を大学から離れることになるのは、かなりのチャレンジでもあったと思います。
 アテンダントとしては、ロシア語を使っての来館者への案内やVIPのおもてなしなどがおもな仕事でした。最初は受動的でしたが、だんだん慣れるにしたがいじぶんのアイデアも出せるようになっていきました。気づきと学びがあり、そして出会いがとても多くて、ここに来てじぶんの世界が大きく変わったと思います。アテンダント仲間には年齢が上の社会人経験があるひともいたので、そのひとたちとの交流でいろいろな話を聞くことができ、じぶんの視野と将来の選択肢が広がりました。これまでのじぶんにはなかった、のちまで強く印象に残る体験ができました。⼤学で学んできたロシア語が仕事としてもある程度通⽤することを実感でき、自信とモチベーション向上にも繋がりました。
 そして、未知の国だったカザフスタンの文化や宗教などをリアルに知ることができたこと。国家レベルのイベント運営の⼀員として働いたこと。これらのことは、かけがえのない経験と刺激的な充実感をもたらしてくれました。

アスタナ国際博覧会日本館入口にて(右から2人目がわたし)

アスタナ国際博覧会にて。タイ館と交流(左から3人目がわたし)

さまざまなバックグラウンドを持つアテンダント仲間との交流を通して自分の世界が広がる

カザフスタンに行く前から決めていた
ロシア留学へ。

 4か月の勤務が終わり一度日本に帰りました。そして、カザフスタンへ行く話が出る前からすでに決めていた、モスクワへの留学をしました。じつは大学の短期留学のようなもので数週間ほどのプログラムでロシアへ行ったことはありました。でも短期留学のときとは大違いで、この留学では勉強だけでなく、ほんとうにたくさんのロシアの生活を見ることができました。モスクワでは学校に通いながら、ロシア学科の先生の知り合いの家にホームステイをさせてもらっていました。というか、ホームステイというよりは、その方のところに住まわせてもらっていたという感じです。モスクワにはけっこう日本人の留学生もたくさんいたので、自由に集まって話すような定期的な会(日露会話クラブ)があって、そこにはよく行っていました。ロシア人で日本語を勉強しているひとたちもその会に参加していました。そのひとたちと仲良くなり、一緒に遊びに連れて行ってもらったり、家に呼んでもらったりしました。そのおかげで、観光ではぜったいに見られないような、実際の暮らしをたくさん見ることができたのは、すごく興味深い体験でした。ロシアというと寒そうな先入観がありましたが、家の中はセントラルヒーティングがあって、とても温かいんです。カラダの芯まで冷え切るなんてことはなくて、意外に薄着で暮らせるんです。快適で過ごしやすいのには驚きましたね。

モスクワ川の流氷

会話クラブで仲良くなった友人宅にて。家庭の味をお母さんと一緒にふるまってくれた

ボルシチ(サワークリームを入れて食べる)、黒パン、肉入りクレープ、ベリーのドリンクなど

日露会話クラブ。普段はショッピングセンターのフードコートに集まって、言語を教え合ったり、おしゃべりをしたりしていた。夏はピクニック、冬はスケートなど、皆で遊びに行くこともあった

 あるとき、「日露会話クラブ」で仲良くなった友人から、クリミアへ長期休暇に行くのに連れていってもらったことがありました。何週間とか家を借りて、暮らすように長期の休暇を一緒に過ごしました。これも日本ではできない経験でした。日本だと休暇をとって旅行に行ったりしますが、観光なんかなしで本当に休みに行くという感じです。のんびり朝起きて、朝ごはんをつくって、みんなそろって外で食べてみたいなことから一日がはじまります。じゃあ、きょうは海へ行こうか山へ行こうか。と、何かしらのアクティビティに出かけて、帰ってきてまた、みんなでごはんをつくって食べて寝て。そんな感じで毎日を送るんです。なんだか、エネルギーを貯めこんでいくような感じです。日本だと予定をギッシリと詰め込んで出かけますよね。時間の余白を楽しむような、ほんとうの意味での“休暇”を経験したことがなかったので、そういう休みを知れたことはものすごく新鮮でした。

友人一家と訪れたクリミア。洞窟都市遺跡を観に山を登った

4年の後期を残して1年間休学。
日本語教師養成講座に入学しました。

 アスタナ万博とモスクワ留学の後、就活や卒論そして日本語教師養成講座の通学に充てるために、4年の後期を残して1年間の休学をすることにしました。
 「日露会話クラブ」には、さまざまな年代の日本語を学んでいるロシア人が集まっていました。そこでは、いろいろ教え合うだけでなく、日本語の言葉について、けっこう質問されるんです。なにが正解か、感覚的には分かっていても、質問されたことをべつの言葉で説明するのって、難しいなあと感じていました。母語ですから自然に身についているものなので、「説明のしようがない」ということが、意外にあるんです。そんな体験をするうちに、外国人に日本のことを、日本の言葉で説明できるようになりたいと思うようになりました。次第に日本語教師という職業への興味がつのり、休学して「日本語教師養成講座」に通うことにしました。

結果的には日本語教師ではなく、ロシア専門商社に就職。
1年半の勤務後に、ドバイ万博にも参加しました。

 就職活動をするにあたり、日本語教師も選択肢のひとつでした。ところが、その学校の先生から「新卒で会社に入れる可能性があるんだから、まずは一回、会社に入ったほうがいいと思うよ。日本語を勉強しているひとは日本で働きたいと思っているひとが多いから、じぶんが日本で働いた経験があったほうが、経験値を話せるからいいんじゃないか」と、言われたんです。「そうか、それもそうだ。日本語教師はキャリアを積んでからでもなれるのか」と、思って企業への就職を選びました。就職したのはロシア専門商社です。そこで、1年半勤務しました。ロシア語を使用する業務だったので、すごくやりがいを感じていました。それに1年目でも先輩について出張に行ける機会が多いと聞いていました。そういう実践の場があることも、魅力的だと思っていたんですが…。コロナの影響で出張とかには、ぜんぜん行けなかったんです。
 そういう状況に揺れ動く気持ちを持ちつつ、ドバイ万博のアテンダントに応募しました。アスタナ万博で経験したことが忘れがたくて、アラブ首長国連邦で開催されたドバイ万博で、二度目の日本館アテンダントとして7か月間勤務しました。ドバイへ行くときは、終われば商社にもどりたいという話を上司にしていたんですが、世界情勢の悪化により、それどころではなくなってしまいました。

ドバイ国際博覧会日本館。
外大の友人が休暇を利用して遊びに来てくれた

ドバイ国際博覧会日本館ブリーフィングエリア。
お客さまに入館前のアナウンスをする

ドバイ国際博覧会。UAE建国記念日(12月2日)の日本館

自国開催の万博にも関わりたいと、イベント会社に転職し三度目の万博を体験しました。
できることなら、ベオグラード万博にも参加してみたい。

 ドバイ万博で勤務した後、アテンダントではなく別のポジションで万博に関わりたくて、イベントの制作や運営をする会社に就職しました。⼤阪ヘルスケアパビリオンの運営業務に準備段階から携わり、アテンダントの募集・採⽤業務などを担当。会期中はパビリオン運営ディレクターとして勤務しました。
 卒業後も使っていきたいと思っていたロシア語は、現職ではほとんど使う機会がありません。仕事のかたわら、「ロシア語通訳協会」に所属。ロシア関係のイベントや学習会に参加したり、オリンピックでの要⼈アテンド、旅⾏客のガイド、通訳として活動しながら、レベルの維持向上に努めています。
 先のことはまだ見通せませんが、個人的にはセルビアのベオグラード万博にも行ってみたいと思っています。

大阪・関西万博では大阪ヘルスケアパビリオンの運営ディレクターとして勤務。ボランティアに活動を説明。

外大から学長・副学長が大阪ヘルスケアパビリオンを訪問
https://www.kobe-cufs.ac.jp/news/2025/23621.html

「やっておいて無駄になることはない」と、
わたしは思います。

 ⼤学時代は⾃由な時間がたくさんあるので、興味を引かれることがあれば積極的にトライしてみることを、後輩の皆さんにはお勧めします。できるだけいろんなひとと会ってほしいです。そうすることで、予想以上に世界が広がるでしょう。そして、さまざまな 気づきがあったり、選択肢が広がったりすると思います。なにごともやっておいて無駄になることはないと、わたしは思っています。例えば、想像していなかった場面でロシア語のスキルが重宝されたことがあります。ドバイ万博や別の仕事でのドイツ出張で、英語が通じない方がいてロシア語での対応を求められたんです。また、幼少期にスケートを習っていたのですが、氷の上で動き回れるという理由でフィギアスケート選手の通訳の機会に恵まれたこともあります。ロシア語の通訳だけならプロの方に決まっていたでしょうね。ほかにも、新卒の会社で携わっていた⽊材業界と5年後にまったく別のご縁で関わる機会があり、多少の知識が役⽴ったこともあります。
 本当に⼈⽣は、何がどこでどう活きるかわからないものです。いろいろな経験を持っていれば、思わぬところでピースが組み合わさってじぶんの強みになることがあるので、経験やスキルのピースをどんどん増やしていってほしいと思います。後輩の皆さんの今後のご活躍を期待しています。

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